モッコウばらのアーチをくぐって

日常のささやかな出来事を綴ります。

3分間スピーチ「蜂に刺された思い出から」

私の職場では、月に1回の部署の会議で順番にスピーチをすることになっています。

お題は何でもよいのですが、だいたい3分程度で、興味を持っていること、皆さんのためになること、最近読んだ本から、職場での気づきなどなどです。


スピーチに込められた思いを聞くと、職場の皆さんの意外な一面に気づくこともあって

私はスピーチの時間が大好きです。


くじで順番を決めるのですが、なんと1番(4月)を引き当ててしまいました。

年に1回ぐらいしか回ってこないのですが、トップバッターなんてね(^▽^;)

今年はどんなスピーチにしようかなと考えてみました。


幼少期のインパクトある思い出からスピーチを作ってみようと考えました。

ブログにも載せておこうと思います。


「蜂に刺された思い出から」

幼いころの記憶を皆さんはどのくらい覚えておられますか。

私には保育園に通っていたころの強烈な思い出があります。私の通う保育園は地元のお寺さんが経営されている保育園でした。園庭の隣に大きな墓地があり、その周囲に竹藪があるような環境でした。

ある日、ガキ大将的な存在の上級生が大きな蜂の巣を園庭の中の石碑の陰で見つけました。ガキ大将は、持っていたスコップのようなおもちゃで蜂の巣を叩き落したのです。その瞬間、無数の大きな蜂が飛び出してきて、周りで遊んでいた園児たちを襲撃しました。一部始終の目撃者である私には、ガキ大将が蜂の巣を叩き落してから蜂が飛び出し園児を襲う光景が、モノクロの無声映画のように記憶に残っています。

蜂に刺された園児たちが泣き叫び、逃げ回り、阿鼻叫喚地獄絵図のようでした。

最初の原因を作ったガキ大将さえ痛みと恐怖で大泣きしていました。実は一部始終の目撃者である私も、運悪く頭部(髪の毛の中)を一匹の蜂に刺されていました。その痛みは今までに感じたことがないほどの激痛で電気ショックに頭部から全身を撃ち抜かれたような感覚でした。

騒ぎに気付いた先生が園児たちを避難させ、泣いている子供の手当を始めました。私は泣くでもなく騒ぐでもなく、その光景を少し遠巻きに見ていたように思います。結局、私は、先生からは蜂の被害のない子と思われ、消毒も薬も塗ってもらえませんでした。当然です、泣きもせずにいるのですから。

この記憶が例になるかどうかはわかりませんが、私は小さなころから大人や誰かに弱みを見せないようなところがありました。人前で泣いたり、弱音を吐いたり、そういうことをしない子供でした。無理をしてというよりも、そうすることが自分にとっては至極普通のことでした。4人姉妹の2番目で下には妹が二人もいたからかもしれません。家族の中で甘えるのは私の役割ではなかったのです。

そんな子どもでしたから、蜂に刺されるという、幼児にとってはかなりの状況においてさえも、人前で泣いたりぐずったりというリアクションがとれなかったのかもしれません。蜂の襲撃の元凶であり、普段から威張り散らしている割には、くるったように泣くガキ大将を、子どもながらにおバカさんだな、恥ずかしいやつだなというぐらいに感じ見ていたように思います。

私の人に甘えたり、頼ったりしないというような性分は、今でも多少残っていると思います。できるだけ自分でやり遂げたいし、よっぽどのことがなければ人に頼ったりもしたくないのです。

ただ、社会で働くようになり、また結婚をして子どもを育てるという大きな役割を授かり、予期せぬ大病をしたりなどのことを経て、一人で甘えることなく良い結果を出すことは難しいのだということを教わったように思います。

職場では、パフォーマンスを上げ大きな成果をもたらすためには、苦手な人でも頭を下げてお願いしなければならないこと、他の人の力を借りなければうまくいかにことがたくさんありました。家庭もまた同じで、夫とけんかをしながらでも、子どもたちを協力して育て上げなければなりません。予期せぬ大病をした時には、そっと支え守ってくれた仲間や家族の存在が、どんなにか心強かったことでしょう。信頼できる人に弱音を吐くこと、運びきれない荷物は一緒に担いでもらうこと、それは決して恥ずかしいことではないことを学びました。

50年以上の人生を生きてきました。今さかのぼって蜂に刺されたあの頃の少女に出会うことができるなら「痛かったね、びっくりしたね。」とぎゅうっと抱きしめてあげたいなと思うことがあります。そして同時に、これから始まる人生の旅で多くの温かい人たちに出会い、たくさんの宝物がみつけられることを教えてあげたいようにも思います。


と、こんな内容です。お粗末ですが長文、最後まで読んでくださった皆様に感謝です(#^^#)